なぜエピソードなのでしょうか?
「こういうときは、こうなる/こうする」という知識は、そもそも ”こういうとき” に気づかないとはじまりません。
“こういうとき” すなわち 知識の出番は、文脈の中にあります。
文脈で学ぶエピソード・ラーニング®であれば、知識の出番に気づけます。
なぜエピソード・ラーニング®は、対話形式なのでしょうか?
気づきは、対話を通じて情報を自ら集めることから始まるからです。
実際の場面では、そもそもなにが必要な情報か分かっていないことが多く、必要な情報が同時に集まることもありません。
なぜエピソード・ラーニング®は、いくつかのテーマが混ざっているのでしょうか?
学習は普通、1つの学習テーマに絞って行われます。
1つのテーマの中にだけ答えがあるというのは、スポーツで言えば、”止まっている球を打つ” 練習をしているのと同じだと思いませんか? そういう練習も必要ですが、さまざまなコース・速さ・回転の球が打てるようにならなければ、試合には出れません。
複数のテーマをエピソードの中に紛れ込ませているエピソード・ラーニング®であれば、”試合”に近い練習ができます。
なぜエピソード・ラーニング®は、ゲームなのでしょうか?
退屈な学習と、楽しい学習とでは、どちらが勉強になりましたか?
学習内容から逸脱しない講義と、脱線や寄り道がある講義と、どちらが記憶に残りましたか?
もし楽しい学習、脱線がある講義の方がよかったあなたには、エピソード・ラーニング®が向いていると思います。
人生はゲームじゃない。
そう、Nikeは”人生はスポーツだ”と言っていますね。
Nike – No Games. Just Sports.
from “What women want“
一方、No Game, No Life な人もぜひ
あなたの経験をエピソードにしませんか?
あなたのエピソードが、将来、誰かを失敗から救うかもしれません。
リアルなエピソードにワナを仕掛けられる方を求めています。
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